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証券マンだったおかげでビビらなくなったお話

月に一度しか更新していないブログですが、今回も大したお話ではありません。

今日は証券会社の経験のおかげで、何をやっても概ねはビビらなくなったことについてお話したいと思います。(もちろん小心者なので緊張感は常に持っています!)

証券会社に入ると、多くの場合は、本支店などで個人営業からスタートします。個人営業とは、簡単に言うと、個人のお客さんに株式や投資信託、外国債券などを買ってもらう仕事です。僕も個人営業から社会人人生が始まりました。証券会社に入って2年間個人営業に従事した後、当時ベンチャー企業のIPO(株式上場)が流行っており、そのベンチャーIPO部門で年商数億円から100億円くらいまでの、成長真っ最中のベンチャー企業や中小企業を担当しました。簡単にいうと、ベンチャー企業に上場してもらうのが仕事です。上場するためには証券取引所の厳しい審査を通過し、かつ、投資家に迷惑をかけないように業績も成長していなければなりませんので、上場するためのコンサルティングを証券会社がすることになるのです。DeNAやLINEも上場する前の時代です。

それまで地方の個人や個人事業主を相手にしていたので、商法(会社法ができる前)やら新株予約権やらの話が訳が分からずに泣きました。特にベンチャー企業の起業家や担当者は、大企業では肌が合わないような、いい意味でも悪い意味でも、とがった人、所謂ふつうの人とは変わったかたも多いので、証券マンへのあたりがキツイことも多いです。いじめられたこともありました。いろいろな事が分かってきた後になって、あの時、オトナに意地悪されたのだなと気付くこともあります・・・笑。

その後、リーマンショックで、IPOブームが終焉し、IPO市場そのものが実質無くなってしまったので、上場企業の担当(カバレッジといいます)となりました。上場企業というと誰でも知っているような有名企業を想像しますが、日本には4000社くらいの上場会社があり、一般の人は名前を知らない上場会社も沢山あります。そのなかで中堅クラスと言われる時価総額1000億円前後(業種にもよりますが年商だと1000億円くらいが多いでしょうか)を担当しました。

ベンチャー企業からすると大企業です。自社ビルだったり、綺麗な秘書さんいたり、受付嬢がいたりします。そして、上場企業には、情報開示のための法律や規則の定めが複雑にあります。自社株が取引所で売買されるため、インサイダー取引規制や大量保有報告の義務、そして、資金調達をするためのファイナンス・ウィンドウや実際に投資家に買ってもらえるかどうかなどの実務的な知見などの上場会社特有の多くの論点があります。それらの規制を踏まえて、どのような取引が、その会社にとって、最も妥当かなどをアドバイスするのが証券会社の担当者です。実際には証券会社の複数の部門の専門スタッフと話し合いをしながら、企業にアドバイスをしていくこととなります。

そのときは、上場会社の経営企画や財務の部長さんや課長さんから質問されることが一切答えられず、本当に泣きました。

それから、大分経ちますが、証券マンを退役する間際は、年商数兆~数十兆円以上、従業員数十万人、時価総額は日本でもトップクラスのグローバル企業グループを担当しました。日本にはそれ以上大きな会社はありません。日本では最先端の金融取引の検討をしていますし、世界中の子会社群で様々な金融取引を行なっています。

そこで働くスタッフは国内トップクラスの優秀な人たちですし、かつ、CITIやゴールドマン・サックスなどのグローバル金融機関が日参するため、常に最新の情報をいち早く大量に得ています。圧倒的な情報量とスピードを誇る秀才のお客さんに対応できずに泣きました。かつその企業グループを担当をする競合他社の証券マン・金融マンは各社の選りすぐりの精鋭部隊・エリートです。各社ともに概ねは一番優秀とされる人たちが戦線に投入されています。敵には僕のような出来の悪いヒトはいません。僕からすると、なぜ、そのような大事な取引先を担当する部署の担当者に選ばれたのか、今でも不思議です。決して謙遜している訳ではなく、普通ならば、トップクラスの実績のある営業担当者や一選抜のエリートとされる人たちが選ばれるところ、客観的に見ても自分などは、既に同期と比べても昇格も遅れているような、明白な2軍以降の選手で、およそかすりもしないような状況だったからです。泣くくらいでは済まず自律神経がおかしくなったこともありました。 

でも、どうでしょうか。そのおかげで、現在はある意味、企業取引においては、怖いものはありません。どんな日本の大企業の案件でもビビらなくなりました。日本一大きな会社たちの深い論考、リスクマネジメント、最先端の取り組みを検討するかなりマニアックな優秀な担当者さん、を相手になんとかやってきたので、自分自身は合格点ではなかったと思いますが、自信になりました。

もちろん、大企業での大勢の優秀な上司や同僚、チームに支えられてなんとか応戦してこれたわけですが、今までの体感として、「この規模の企業さんであればこのくらい?」とか「この会社のスタッフの人数だと、ここまでは手が回ってないだろうな?」とかの肌感覚が身につきます。それに応じて、こちらも、具体的に援軍を誰に頼むか、または、動員する人手はどのくらい必要かの目算がつきます。

証券マンの中でも個人営業から始まり、ベンチャー企業、中堅上場企業、世界的大企業まで、全てのステージの企業を担当できた人はそうそういないと思います。通常、大企業担当者は、投資銀行部門の大企業担当の見習い(ジュニアバンカー)から入り、特定の業種(セクター)のみを担当するので、ベンチャー企業や中堅上場企業・オーナー社長をベタに担当するようなことはありません。単純にラッキーだったとしか言いようがありません。

そんな恩義のある証券会社のために、僕のような不肖者は未だ比較的若いうちに身を引いた方が、会社組織全体のためにも良いと思い、割増退職金も貰わずに、ひっそりと退役しました。所謂「うちの会社の働かないオジサン」になって、会社の営業利益のマイナス要因になるのは申し訳ないですし、そういう意味では、引き際の良いオトコだったと思ってます。

と言うことで、ここまでの金融マンの人生を、周りの皆様、神様に感謝しております。
ちなみに、独立してからの初仕事は、某財閥系の大企業でした。まあ、怖くて泣きました。

おわり

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